2014年09月01日 「利他に徹すれば物事を見る視野も広がる」

2014/09/01京セラKDDI設立。新時代経営リーダー稲盛和夫の経営哲学生き方に学ぶ/外食業界に生きる人間として(竹谷稔宏)

「利他に徹すれば物事を見る視野も広がる」

利を求める心は事業や人間活動の原動力となるものです。ですから、誰しも儲けたいという「欲」はあってもいい。しかしその欲を利己の範囲にとどまらせてはなりません。人にもよかれという「大欲」をもって公益を図ること。その利他の精神がめぐりめぐって自分にも利をもたらし、またその利を大きく広げもするものです。

会社を経営するという行為をとってみても、すでにそれだけでおのずと世のため、人のためになる「利他行」を含んでいるものです。いまでこそ終身雇用制は崩れつつありますが、社員を雇うということは、その社員の面倒をほぼ一生にわたってみなくてはならない義務が生じることを意味します。ですから、五人であれ十人であれ、社員を雇用しているというだけで、すでに「人のため」になっているのです。

これは個人でも同じです。独身のときには、自分一人の生活をよくすることを最優先してきました人が、結婚をして家庭を築き、自分だけではなく奥さんのために働き、子どもも育て守っていこうとする。そのときその人の行為には、やはり無意識のうちにも利他行が含まれているのです。

ただし気を付けなければならないのは、利己と利他はいつも裏腹の関係にあることです。つまり小さな単位における利他も、より大きな単位から見ると利己に転じてしまう。会社のため、家族のための行為には、たしか利他の心が含まれているが、「自分の会社だけ儲かればいい」「自分の家族さえよければいい」と思ったとたんに、それはエゴへとすり替わり、またそのレベルにとどまってしまうのです。

会社のためという「利他の行い」も、会社のことばかりだと、社会からは会社のエゴと見える。家族のためという個人レベルの利他も、家族しか目に入っていなければ、別の視点からすると家族という単位のエゴと映るかもしれない。したがってそうした低いレベルの利他に留まらないためには、より広い視点から物事を見る目を養い、大きな単位で自分の行いを相対化して見ることが大切になってきます。

たとえば会社だけ儲かればいいと考えるのではなく、取引先にも利益を上げてもらいたい、さらに消費者や株主、地域の利益にも貢献すべく経営を行う。また個人よりも家族より地域より社会、さらには国や世界地球や宇宙へと、利他の心を可能な限り広げ、高めていこうとする。すると、おのずとより広い視野をもつことができ、周囲のさまざまな事情について目配りができるようになってくる。そうなると、客観的な正しい判断ができるようになり、失敗も回遊できるようになってくるのです。

外食業においても同様なことがいえるだろう、飲食業を展開する多くの企業は人を雇用し、社会に食というサービスを提供し社会に大きく貢献していることも利他という行いであることだ。

しかし外食業界も利他という経営方針を掲げながらも、食品や賞味期限偽造など利己に走ってしまう企業も多々あることであり、最近では木曽路の牛肉銘柄偽造はまさに利己に走ってしまった結果である。

つまり利己に走ることによって、その企業の信頼や名声は失墜してしまいきわめて社会に与える不評は継続するだろう、つまりしばらくは売上や客数減に陥ることになるその代償は大きな痛手となって企業に戻ってくることを忘れてはならない。私がまだモスフードサービスに在職中に創業者亡き桜田社長の社員に対する教えに「たらいの水」という言葉があったことを今でも覚えている。どのような意味なのか、その内容にはとても深い意味があったことだ。

「たらいの中の水を自分の方へ向けてかき集めようとすると、両手から流れ出て近寄ってこない。逆に向こう側へ押しやると、自分の方へと流れ込んでくる。さ~と人との付き合いとは、そういうものだ。この考え方こそ、まさに利他主義であり、まず他人の利益を考えて行動することで、いつしかその恩恵は自らに戻ってくるという教えである。

外食には多種多様の思想や考え方を持った企業は多々あるものの、その企業の何パーセントが真の利他思想にあるかは疑問であり、全てにおいてその思想が根付いていれば繁盛する店になることは疑う余地もないはずだ。企業である以上継続経営を目的に日々努力を重ねていることは当然のことであり、その経営にどれだけ利他思想を反映させるかは企業の方針によって変化してくることだ。

つまり利他に徹することこそ、視野が広がり企業としてあるいは人間としての人格も尊敬できる人間になることを理解しておくことだ。