2015年03月01日 「人生をつかさどる見えざる大きな二つの力」

2015/3/01京セラKDDI設立。新時代経営リーダー稲盛和夫の経営哲学生き方に学ぶ/外食業界に生きる人間として(竹谷稔宏)

「人生をつかさどる見えざる大きな二つの力」

人生には、それを大本で統御している「見えざる手」がある。しかもそれは二つあると私は考えています。一つは運命です。人はそれぞれ固有の運命をもってこの世に生まれ、それがどのようなものであるかを知ることができないまま、運命に導かれあるいは促されて人生を生きていく。異論のある方もおられるでしょうが、私はこの運命の存在は厳然たる事実であると考えています。

人はたしかに自らの意思や思惑の届かない大きな「何か」に支配されている。それは人間の喜怒哀楽をよそに、大河のごとく一生を貫いてとうとうと流れ、いっとき休みなく私たちを大海に向けて運びつづけています。では、人間は運命の前ではまったく無力なのか。そうではないと思います。もう一つ、人生を根本のところでつかさどっている、見えない大きな手があるからです。それが、「因果応報の法則」です。

つまりよいことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生まれる。善因は善果を生み悪因は悪果をまっすぐに結びつける単純明快に「掟」のことです。私たちに起こる全ての事柄には、かならずそうなった原因があります。それはほかならぬ自分の思いや行いであり、その思念や行為のすべて原因となって、かならず何らかの結果につながっていきます。

またその結果についての対応が、再び次の事象への原因と化していく。この因果律の無限のサイクルもまた、私たちとの人生を支配している摂理なのです。運命と因果律。その二つの大きな原理がだれの人生をも支配とている。運命の縦糸、因果応報の法則を横糸として、私たちの人生という布は織られているわけです。

人生が運命通りにいかないのは。因果律のもつ力がそこに働くからです。しかし一方で善行がかならずしもすぐに善果に繋がらないのは、そこに運命が干渉してくるからなのです。

ここで大事なのは、因果応報の法則のほうが運命よりも若干強いということです、人生を律するこれら二つの力の間にも力学があって、因果律のもつ力のほうが運命のもつ力をわずかに上回っている。そのため私たちは、もって生まれた運命でさえも、因果応報の法則を使うことで変えていくことができるのです。

したがって、善きことを思い、善きことを行うことによって、運命の流れを善き方向に変えることができる。人間は運命に支配される一方で、自らの善思善行によって、運命を変えていける存在でもあるのです。

外食業においても、まさに人が人を介してサービスを行いその対価としてお金を頂くということは、それが飲食のビジネスの法則であったにしても、そこには常に人を介するという人的力が働いていることである。

勿論飲食店の本部や現場で仕事をする人は、人それぞれの人生論を云々する機会はないものの、仕事やそれ以外でもよいことをすれば良い結果が返ってくるだろうし、悪いことをすれば、その報いは思わぬところから「しっべ返し」となって戻ってくるものであり、何業に際してもその根本にあるものは大きく変わるものではないだろう。特に飲食業の場合には、常に人と人を介してビジネスが成立することを配慮すれば、例えば、「今日はお客様によいサービスができたこと」や「満足してもらえたこと」は、サービスを受けた客にも幸せをもたらし、サービスする人の心には満足というカタチで戻ってくるさわやかな気持ちになることである。しかし自分の仕事に誇りや使命感を持っていない場合には、ただ単に定型サービスをして決まったように日々を過ごしていても精神的には何も変わるものではない。

つまりいかなる仕事においても人生の生き方には自分の思想や使命感がなければ、あくまでその仕事はこなしている仕事でしかないことを自覚しておかなければならない。

人生とは、その人それぞれの運命があるように、切望しできることと、できないことに大きく分かれることであり、その目標に対して努力を積み重ねたものに、よい成果として戻ってくるものである。

自分の信念を持ち仕事の成果を上げるためには、因果応報の法則に準じて行動することがその目標を実現できるチャンスがあることを忘れてはならない。全ての仕事が自分の思い通りに進むことは、努力をしなければ実現できないものであり、その現実に向けてどのような努力し、よいことをしたかしないかなどの結果が、全ての成果を決定づけることになることを十分に理解しておくことであろう。

いわば、善きことを思い善きことを行うことによって、運命の流れを善き方向に変えることができることを忘れてはならない。